臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
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これは霊気の五戒の冒頭に出てくる一節だ。
古今東西、怒りについてはみんな何かしらの
教えを発している。
怒りとはなんだろう。
カッするとき、ムカつくとき、怒りで苛立つときは
感情で肉体を占拠されている。
この怒りの感情は、一切正しくなく我に返ったときに
あらゆる嫌悪感を提供してくる。
怒った自分や、関係していると思っているすべてに
その原因を押し付けたり、責任を持ってみたり。
でもこれにはなんの意味もない。
意味がないので怒りを繰り返してしまう。
怒りとは、そもそも存在しない造られた感情だ。
怒りは悲しみを隠すために、生物進化の過程で編み出された
弱肉強食を生きる生物が編み出した感情にすぎない。
傷ついた体を悲しんで立ち止まってしまったり、
家族が食べられて悲しんでいると、自分も食べられてしまうからだ。
怒りには、必ず理由がある。
怒りは全く正しくない
けれども怒りには必ず理由がある。
悲しみを隠すために怒りがつかわれているのは
時代が進化しても変わらない。
大事なことは、何を隠しているのか
何を悲しいと思っているのかではないだろうか。
心は神聖性を完全に失うことはありえない。
そして心は、完全に忘れたり、わかっていないわけではない。
自分が誰なのか、どこから来たのか
これがどれほど意味のないことなのか。
なので、怒り自体を嫌悪する人は本当に多い。
そして、それは誰の心も本当の自分を忘れ去っているのでは
ないという確かな証拠だ。