臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
レイキヒーリングも行っています。
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「悪知恵は働くけど
良い知恵は働かない」
BY ハハ
現実に見える現象は、宇宙の法則の手が届かないくらい
甘くないんだから、と思いたくなるときもある。
でも、果たして、宇宙はそんなに頼りない
ただの空間なのだろうか。
今、不足を見ている時に、ないものを持っていると思うことも
成ったときの自分になれというのもなかなか難しい。
でも、神ありきの宇宙にはもっと優しい法則がある。
自分がほしいと思うものを、まず自分が先に与えること。
それは、時に自分自身にかもしれない、そばにいる誰かかも知れない。
これまで見てきて思うのは、やはり、自分にも人にあげることが出来る人は
色んな面で運みたいなのが強いなってことです。
一昨日だったか、明石家さんまさんがテレビで言っていました。
「マイナスの時の使い方やな」(※お金の)
この表現、少し違っているかもですが、これを聞いた時
ピーンときました。
そして、無いからといって、節約だなんだで絞ると
不思議なことにますます経済が回らなくなる!
富めるものはますます富、貧しいものはますます・・・現象ですね。
でも結局は、あげることが出来るということは
自分は持っているということやそれに付随した諸々が
その心の中に在るということなんですよね。
お金を含めた諸々の、誰かの幸せを祝福するとか
応援するとか、自分の心、力、持っているなにか。
情は人のためならずともいいますものね。
では、今日はこのへんで 🌈
歳を重ねるほど
自分はこういう人だという自覚や
良くも悪くも諦めが早かったり
見ただけでわかるという判断してしまう力(?)
これらは本当に正しいのだろうか?
本当に本当にそうなのでしょうか?
歳を重ねたその分だけ、私達は息を吸うくらい自然に
多くの判断を下してきた。
物事や状況に対して、統計学を習わなくても私達は
統計的に判断をしてしまう。そしてそれは、無意識に
全てに対してそうしてしまう。
判断は心の決定であるのと同時に、決断を生んでいる。
私達が、何かを判断するとき、それを
判断出来るほどわかっていて
理解しているから、判断をしている。
これは、時に役にたっている時もある。
ただ、判断には落とし穴がある。
誰かにしてきた判断は、善くも悪くも
必ず自分がそれを体験する。
それに気が付かないままでいると
どんどん本来の自分と離れていってしまう。
判断により、その判断事項を追体験してしまったり、
罪悪感に付きまとわれたり
防衛したり、攻撃を繰り返してしまう。
判断をされた相手も自分も決してそれではない
見たことは決して正しい見方とは限らない。
心の中が、攻撃か、停戦のどちらかでは
本当の平和ではない。
つかの間の平和は本当の平和ではない。
判断という決めつけは、奇跡が入るスペースも
占領してしまう。
奇跡に頼れないと、疲れてしまう。
明日も明後日もずーっと全部自分でやらなきゃは
気力やバイタリティが枯渇する。
私達は、信じられなくてもその自覚が持てなくても
高次元の方にもう一人の自分がいる。
もう一人というのは適切な表現ではないかも
しれないけれど。
でも、そっちが全部知っている。
そっちの理解は、いつも安全で愛に満ち溢れている。
そっちから来た判断は、必ず愛や希望に繋がる。
決めつける前に、そっちの自分に預けよう。
信じられなくても。
きっと受け取ってくれる。
貴方が愛に戻るためのものならば
それは、本当の自分の希望が
見えていないのかも知れない。
この世界の常識に囚われた希望は
本当の自分の希望と一致しない時
現実しか見えず色々と嫌になったり
問題が起きているように見えるかも知れない。
けれど、これらすべてを解決するのは、
本当の問題とは何か
自分が本当に希望しているものは何か
それを、知ることが大事なことだと思う。
奇跡は、この世界の常識的な問題も含めて
すべてを助け解決してくれる。
神は宗教のものではないし
宗教は神のものではない
神は私達の中にあって
私達は神の中にある。
私達の体や、この現実で体験している
困難も、どんな悩みも
そこから本当に助け出してくれるのは
神(愛)ありきの世界だ。
神(愛)ありきの教えだ。
この世界と神は全く結びつかない
この世界の悩みの渦中で愛は気休めにしか聞こえない
でも、この現実のどんなささやかな悩みであろうと
神(愛)はそれを放っておかない。
私達が本気でそれを差し出せば必ず救いはやってくる。
そしてこれは宗教ではない!!!!!!
神=宗教はナンセンスだ!!!!!
古すぎる!!!!!!!!!
私の中の小さな爆発でした。
ありがとうございました。
今日はここまで!!