reiki ikowaselu

まず初めに、自分で自分を癒せるようになること。そして、その癒しを自分以外にも行えるようになること。
reikiで心を癒せば体が癒され、体を癒せば心も癒される。癒された先にあるのは、本来の自己で自由に自然体で過ごせる自分。全ディグリーを2日間で「伝授」するワークショップを首都圏各地の会場で開催します。             1名様からお受け付けしています。会場となるサロンは、ご希望があれば、希望地にそってご用意いたします。
西洋式臼井レイキの出張式教室です。お気軽にお問合せ下さい。

2025.01.10 Friday

ブログ

2024-07-15 16:16:00

仕事はみんなで  〜 another story of mine 〜

 

疲労感は、私達の肉体の疲労感ばかり

ではない。

 

内蔵が疲労をした時も、肉体疲労と同じように

私達は疲れや、だるさや倦怠感などを体験する。

 

内蔵疲労は必ずしも社会的ストレスや精神的ストレス

不摂生が原因とは限らない。

 

内蔵疲労は、内臓の支配人である「自身」に対する

ストレス反応(訴え)でもある。

 

なぜなら、よく噛まずに飲み込むと、それだけ内臓の

力仕事が増えてしまうからだ。

 

確かに、消化能力の強い内臓も存在はする。

 

けれども、消化とは少し離れた臓器や器官に

負担をかけてしまうこともある。

 

皆様は、仮に仕事を慢性的に押し付けられたら

どのような思いをするだろう。

 

ここで少し内臓達の声を聞いてみよう

 

「いいなー、優しい肉体の持ち主にあたった臓器は」

「まただ、また丸呑みしてきたよ」

「おーい、また不休で仕事かよ」

「もう!疲れたざます!」

「俺達がこんなに働いているのに安眠?

させるか!」

「アタシもう消化できない!てかしたくない!」

 

噛まないと内臓さんたちはこのように

先の見えない不安の中で、来る日も来る日も

消化活動に追われているようです。

 

皆様

肉体と仲良く過ごすためにも、せめて一通り

噛み砕いてから飲み込みましょう。

自身の唾液にまさる消化酵素はないかも知れない。

 

カラダの内側の仕事が程よく穏やかであれば

私達「自身」も穏やかで、健やかな状態で

休息をすることができる。

 

 

穏やかさと健やかさの中で活き活きと暮らすほうが

いいよね!

 

IMG_1635.jpg

 

米粉ちぎりパン!

 

え?何屋さん?

 

パン屋さんじゃないよ

エネルギー屋さんだよ

 

 

 

2024-07-14 17:31:00

気楽がいいね!

 

皆様

 

誰かの分まで頑張らないように

 

誰かの分まで背負わないように

 

誰かの分まで生きようとしないように

 

背負わず、気をわず

 

気楽にいこう!

 

誰かのことを考えなくても、私達には

優しさが備わっている。

 

眼の前で、もし誰かがつまいずいて

手に持っていた袋から荷物が飛び出したら

きっと手を差し伸べられるところにある人は

自動的に手をさしのべる。

又は、大丈夫ですか?と声をかけ

立ち上がることをサポートする。

 

私達はそのくらい誰かへの協力が自然とできるように

なっている。

だって、それは私達を存在させた存在が優しさの大元だからだ

人の子が自然と親に似てしまうように

私達は本来の源に似てしまうのは当然のことだ。

 

だから、私達はもっと自分自身が幸せを感じて生きることを

もっと選んでいいのだと思う。

どんな穏やかな状況にも

それに対する情熱は存在する。

 

自分に、情熱を向けよう!

一人ひとりの幸せは、すべての幸せにつながっているよ!

 

みんなで幸せを増やそう!!

 

感謝❗❗❗❗❗

 

2024-07-13 18:29:00

何かがおかしい

 

 

 

 

何かがおかしい

 

真のゆるしを差し置いて

何を根付かせようとしているのか。。。

 

 

 

疑問である

 

という私個人の独り言である。

 

 

 

2024-07-13 00:06:00

愛を贈ろう

 

私が、神はこの世界をつくっていないことに

気づいたのは、今から20年以上前になる。

それから十数年、私は、迷子のように

彷徨い、更にホームシック感が増大してしまった。

 

環境も手伝ってか私は物心つく頃には

神様っ子(?)というのか

いつも、神様と一緒にいて、何でも治してもらっていた。

幼稚園ぐらいの時には、自発的に自分で何でも治すような

気持ちが育っていて、その分野での

潜在意識の使い方も無自覚ながらすくすくと育っていたように思う。

 

そんな私は、なぜ天災や激しい何かがあるのかを真剣に考えるようになり、

神様について理解ができなくなってしまった。

神様は、いつも優しい、なのになぜ?

天災が起きると災害が起こる。

なにかと私達はこの世界で不利というか、あまりにも無力に感じてしまう

ことがある。

どうして、神様は丸ごと助けてくれないのか?

なぜ、なぜ、なぜ

 

それは、ある時突然やってきた答えだった。

 

神様は、災害をつくっていない。神様がそんなの

つくるわけがない。

どれだけ私達のことを愛しているか

その時だった。神様と地球は関係ない

神様はこの中にいない!!!!!

 

私はそれまで、この中に(地球の現実、生活)に神様

と一緒にいると思っていた。衝撃の答えだった。

じゃあ、これまでの神様は、神様はどこにいるんだ?

私達はなに?私達はどこにいる?地球ってなんなん?

 

それから十数年の時がたち、今は自分がどこにいるのかが

理解できるようになり、スピリチュアルに目覚めている

マスターたちからも沢山のことを学んだ。(と思いたい

、神様っ子の割には何かと反抗的なのです。)

 

その学びのひとつに、この世界にあるすべてのものには

アイデンティティがあるというものだ。

気づいていても、気づいていなくても、ものや環境に

感謝を伝えたり、愛情をもって話しかけたりしている人達は、

ものや環境との繋がりを敏感に感じとっている。

 

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アイデンティティとは?

きっとすっごく大まかで正しいかどうか

曖昧なところだけれど

それは、自己

それは、認識

それは、自覚

それは、自意識

のようなものだと思う。

 

このアイデンティティは生物にだけあるのではなく

あらゆるすべてに備わっている。

 

地球環境に関心をよせ、子孫のためにも地球を

守ろう!という意識はとても大切だと思う。

でも、なぜか、木や土や微生物や、口に入れたり

私達たちの生活に消耗されたり、

私達に害となり得る場所や存在ばかり、関心を

寄せ、守ろうとしたりするのだろう。

 

地球をMotherearthと捉える人達がいる。

私は地球はお友達という感覚がある。

きっと、これを読んでくださっている方々も

様々な捉え方や感覚があると思う。

 

その様々な私達を地球という大地ははいつも受け止めてくれている。

 

はたして、地球が怒ったり悲しんだりするのだろうか

 

私達が朝めをさまして大きな伸びをするように

地球も大きな伸びをしているのかも知れない。

 

今、地球ごとアセンションをしている。

 

向かっている次元は「愛」だ。

そう、「愛」はアイデンティティの源でもあるね。

 

 

愛のメソードで、天災に働きかけ、奇跡をおこしてしまった

グループもいる。

 

 

悲しいと思うことも怖いという思いをすることも

いっぱいある。

 

でも、私達を丸ごと受け止めてくれる地球に

感謝と愛を贈ろう!

 

いつも、その思いでいてくださる方々に感謝!!!

 

「無条件の愛」というアイデンティティには

境界線がない。

その愛は存在のすべてを癒すことができる。

その愛は重量も、荷物となることもない

 

私の言葉の引き出しが少なすぎて「アレ」なんですが

「大好き!」とか「ありがとう!」って

嬉しいよね

 

生物も、ズボンも光の粒子も

地球もみんな嬉しいよね

 

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 時間が経つのがはやい!

 

              ★Good night★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-07-10 01:04:00

心の記憶

 

 

 

 

 

20140527_141720.jpg

 

私達は、ほぼ記憶の中で世界を作り出している。

ほぼ、記憶から何かを引っ張り出し、その記憶を

現在と繋ぎ合わせ整合性を保っていると思い

ここでの体験をしている。

そのため、記憶の中に住んで生活をしているといっても

過言ではない。

本来、過去は過ぎ去っているので、今と過去は

関係がない。

しかし、無意識的に、俊足な情報処理が行われるため

仕方がないといえば仕方がない

 

しかし、いつまでも、時を変え場所を変え相手をかえ

何度もリピート再生のままで、本当によいのだろうか?

いつかは、この肉体を脱ぎ去る。

その時、一瞬走馬灯が見えるとして、リピート再生をみて

よくやった自分!皆様に感謝!!とかするかなぁ。

私は、若い頃に漫画家を目指していたことがあって、その時の癖で

ついストーリーをつくる癖がある。

リピート再生の人生を振り返っても、よくやった!ありがとう!

の感動のラストシーンが描けない。

まったく出てこない。むしろもう一回世に送り出してしまう

かもしれない。

 

私達は生まれる時に既にテーマを持ってきているという

このテーマときちんと向き合っているならきっと

人生にひるまず、前進できているような感覚とともに

歩んでいるはずだ。

 

私達が問題に立ち往生する時、テーマからはずれようとする

自我のメカニズムが恐れを作り出している。

自我にとって不安や悔しさは、自我を増大させる。

でも、悔しいと泣き叫ぶ心は、自我ではない。

本当の自分(自己・内なるself)を覚えている心だ。

本当の自分とは、テーマを乗り越えることを知っている。

問題は、解決されることを知っている。

宇宙は一瞬も子どもたちを見放すことがないことを知っている。

本当の自分を覚えている心には、自我に屈し、本来の自己を

思い出さないでいることがとてつもなく悲しい。

 

自我は永遠にお友達でも相棒でも自分でもない。

 

 

あっという間にこんなじかんですな。

 

今日はこのへんで

         

               ★Good night★

 

 

 

 

 

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