臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
レイキヒーリングも行っています。
教室もヒーリングサロンも首都圏各地の中から選んでいただけます。
1.いまだに残る奇跡にまつわる恐れを消し去るには、
もう一点、完全に明らかにしておくべきことがある。贖罪
を確立したのは、十字架刑ではなく復活である。数多くの
誠実なキリスト教徒がこの点を誤解してきた。欠乏への信
念に囚われていない者であれば、このような間違いを犯す
ことはあり得ない。 確かに、 転倒した観点から十字架刑
を眺めるなら、あたかも神が、神の子のひとりが善良であ
ったという理由で受難することを容認し、それを奨励さえ
したかに見える。このとりわけ残念な解釈は投影から生じ
たものであるが、それにより数多くの者たちが神を激しく
恐れるようになった。このような反宗教的概念が、多くの
宗教に入り込んでいる。だが、真のキリスト教徒ならここ
で立ち止まって、「いったい、このようなことがあり得るだ
ろうか」と自問するはずである。神ご自身の言葉が、神の
子にふさわしくないと明確に述べているようなことを、神
ご自身が考えたりするだろうか。
2.最良の防衛は、常に相手の立場を攻撃することではなく、
真理を擁護することである。判断基準の枠組み全体は逆転さ
せなければ正当化できないような概念であれば、それを受け
入れるのは懸命ではない。このようなやり方は小規模に適用
された場合は苦痛を伴い、大規模な場合にはまぎれもなく悲
劇的となる。迫害というものは、神ご自身が救済のために神
の子を虐げたというような、恐ろしく誤った知覚を「正当化」
しようとする結果になることが多い。このような言葉自体が
無意味である。これを克服することがこれまでとりわけ難し
かった理由は、その誤り自体は他の誤りよりも訂正が難しい
わけではないが、多くの人々が、そこに防衛としての傑出し
た価値があると見て、それを手放したがらなかったからであ
る。もう少し穏やかな例をあげれば、親が子供を打擲(ちょ
うちゃく)しながら、「こうするとき、お前よりも、私のほ
うがもっと辛いのだ」と言うことで、それが免責されるよう
に感じる、というものがある。私たちの父なる神が本当にこ
のような考え方をすると、あなたには信じられるのだろうか。
このような考え方のすべてが一掃されることが極めて重要な
ので、私たちはこの種の考えがあなたの心の中に微塵も残ら
ないようにしておかなければならない。私はあなたの悪行の
ために「処罰」されたのではない。いかなる形のものであれ、
この種の歪曲に冒されるなら、贖罪が教えている完全に柔和
なレッスンは失われてしまう。
by 奇跡講座 テキスト第三章 1-1〜テキスト第三章 1-2