臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
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肉体の目を通して見ることの反対がキリストの心眼であ
り、それは、弱さではなく強さを、分離ではなく一致を、
恐れではなく愛を映し出す。肉体の耳で聞くことの反対
は、神を代弁する声を介した 親 交 であり、その声であ
る、聖霊は、私たち一人ひとりの内に宿っている。 その声は
か細くて聞き取りにくいもののように思われているが、そ
の理由は、卑小な分離した自己を代弁する自我の声のほう
がずっと大きいかのように感じられるからである。これは
実際には逆である。聖霊は間違えようのない明瞭さと、圧
倒的な魅力をもって語る。自らを肉体と同一視することを
選択しない者であれば、聖霊の解放と希望のメッセージが
聞こえないということはありえない。また、哀れな自画像
と引き換えに、喜んでキリストの心眼を受け入れられない
はずがない。
キリストの心眼は聖霊の賜物であり、分離という幻想や、
罪・罪悪感・死の実在性を信じる信念にかわるものとして、
神により用意されている選択肢である。それはすべての知
覚の誤りに対する一なる訂正であり、この世界が依拠して
いる相対立するように見えるものごとの間の和解である。
その優しい光はあらゆるものを新しい視点から見せ、知識
から生じる思考体型を映し出し、神のもとに戻ることを可
能にするだけでなく、不可避とする。ある者に対し他者か
ら為された不正義と見なされてきたことは、今や助けや融
和を求める声となる。罪や病気や攻撃は、優しさと愛によ
る癒しを求めている誤まった知覚と捉えられる。攻撃の無
いところに防衛は不要なので、防衛は放棄される。私たち
が神へ向かうとき、兄弟は共にその旅をしているので、彼
らの必要は私たちの必要となる。私たちがいなければ、彼
らは道に迷ってしまう。彼らがいなければ、私たちは自ら
の道を決して見出すことはできない。
赦しの必要性など想像することもできない天国にあって
は、赦しは知られざるものである。しかしこの世界におい
ては、赦しは私たちの犯したすべての間違いに必要な訂正
である。赦しを差し出すことが、私たちが赦されるための
唯一の方法である。それが、与えることと受け取ることは
同一であるという天国の法則を反映するからである。天国
とは、神に創造されたままのすべての神の子らの自然な状
態である。それが永遠に彼らの実相である。忘れられてき
たからといって、そうであることに変わりはない。
赦しは私たちが思い出すための手段である。赦しによっ
て世界の思考は逆転する。赦された世界は天国への門とな
る。なぜなら、その慈悲により、私たちはついに自らを赦
すことができるようになるからである。誰のことも罪悪感
の虜にせずにおけば、私たちが自由になる。すべての兄弟
の内にキリストを認めることにより、私たちは自らの内に
キリストの臨在を認識する。誤った知覚のすべてを忘れ、
過去からの何ものにも引き止められないとき、私たちは神
を思い出すことができる。ここから先にはもう学びはない。
私たちの準備が整ったとき、私たちが神のもとに戻るのに
必要な最後の一歩を、神ご自身が踏み出してくれるだろう。
親交 ➔ コミュニケーション
心眼 ➔ ビジョン
by 奇跡講座 上巻 まえがきより P.07〜P.08