まず初めに、自分で自分を癒せるようになること。そして、その癒しを自分以外にも行えるようになること。
reikiで心を癒せば体が癒され、体を癒せば心も癒される。癒された先にあるのは、本来の自己で自由に自然体で過ごせる自分。全ディグリーを2日間で「伝授」するワークショップを首都圏各地の会場で開催します。 1名様からお受け付けしています。会場となるサロンは、ご希望があれば、希望地にそってご用意いたします。
西洋式臼井レイキの出張式教室です。お気軽にお問合せ下さい。
久々の投稿になります
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
空気もだいぶ冷たいですね
肺と腸を冷やさないようにしましょうね
しっかし、レイキを続けていると
本当に冷え知らずになっていきますね。
もうこんな時間ですね
ではまた👋
最近、優しさや思いやりについて
とても考えてしまう時間がふえました。
企業内で決定したサービスは、そこで働く方々の
仕事となっていきます。
でも、サービスを提供することでまた来てほしい
喜んでほしいというのはとても自然な考えですし
思いです。
でも、実際には個人の思いやりや優しさという親切心が
サービスを提供しているというかサービスになっていると
思うのです。
そして、個人と個人が接する業務の場合
その方個人の思いやりや考えがサービスという行動に
なっている気がします。
とても、ありがたいものと感じてこなかった自分
当たり前に受取り喜んでこなかった自分がいました。
とここまでは、いいのですが
自分の身体を痛めてまでやる必要って本当にあるのだろうか?
という本来は聞かなくてもわかるだろうという疑問です。
または、痛むところが完治していないのに、それを行い続ける
その心はなんなのだろう?
こんなことを考えると、私の中のあーでもないこーでもないが
止まらなくなっていました。
誰かがやっているから、それは世間では優しさと思われている
親切なことだし、などなど同調圧力という自我の大好きな力
の源がありました。
私達の肉眼で確認しているものはすべて有限です。
今の名前を持った人生時間も有限です。
肉体も有限です
無理をすれば壊れます。
自分が本当にいいと思って自然に行えない親切なら
それは本当にしなくてはならないことなのでしょうか?
親切が自然でその人の内から湧き上がっているのは
その人がその人の内で無限のPowerと繋がっているから
だと思うのです。
親切の内容は、その時その時の個人で違っていていいと思うのです。
そして、誰かと同じ分量だけその行いができないことは
私は、それでいいと思うのです。間違いでもなんでもないと
だってみんなそれぞれの持ち味があるのが私達の世界ですよね
優しさや思いやりの内容だってみんながそれぞれ集まって
完成されていく素晴らしさがあると思います。
それに、親切心て自発的なもの
誰かの中に自分を目覚めさせるような発見があり
それを取り入れるのならまだしも
みんながやっているからやらなきゃは
うーん、頷けない。
まだまだ、このことは続きそうです。
皆様どうかご自愛ください
自分をうーんと労ってあげてください。
貴方は貴方のままですべての価値が備わっているのだから。
これが自分にとって真実であることを受け入て。
私もそれを忘れないよう気をつけます。
この世界にできない理由は存在しない
そしてこの真理はスパルタではない。
真理はいつも優しい
私達を優しく包んで目を覚まさせてくれる。
「この世界にできない理由は存在しない」
つい何日か前にもう10月だよ
といい
つい何日か前にもう11月だって〜
といったばかりなのに
本当に?12月を3日を過ぎようとしているの!?
早い!
皆様はいかがですか?
追いつけていますか?
神が安心させようとしていることに恐れを感じるのは
おかしいことだとコースはいうのです。
今まさにその心境というか、その練習をしているような最中です。
何度でも練習はやってきます。
完全に完璧に選ぶことができるようになるまで。
時間よ〜、お待ちくださいませ〜!!!
友達なんでしょ〜!!!!
以前書いた記事は、何度読み返しても、納得が
いかないというか、手放せる程内容を伝えれれていないという
なんともモヤモヤしたものがあったため一旦削除といたしました。
まだ、書く時期ではなかったのでしょうか。
皆様の心に開放のきっかけも何もなければ
やはりそれは、必要のないものです。
私の中でそれが更に消化され昇華となったら
また書いてみようと思います。
いつも、お読み下さる皆様に感謝します。
本当にありがとうございます!!
昨日私は妹の家に泊まった。
母が2ヶ月ほど前に倒れ退院してから
母と妹の住む家に泊まりでいる。
私と妹は、母の部屋と隣接している居間へ布団を敷き
寝ている。
妹はアイマスクと耳栓をし睡眠に入る。
ある日耳栓の片方が無くなった。
二人で布団や部屋を隈なく探した。
出てこなかった。
予備があるからもういいやと二人共
それ以来なくした耳栓のことをすっかり忘れきっていた。
昨晩、このブログに次元のことなどを書き
投稿をし終えた時
「え、なに、どっからでてきたの!?」妹
「どうしたの?」私
「耳栓 出てきた」妹
耳栓が3つになっていた。
耳栓が無くなったのは二週間ぐらい前だった気はする
その間シーツを洗い、部屋を掃除し、テーブルなんて朝昼晩と拭いているし
毎日ずーっと見渡せている。
そして昨日は掃除機をかけていた。
なのにテーブルの上に置いてある電気のリモコンをとろうとしたら
耳栓がポロリと出てきた。
あたかもそこにずーっとあったかのように
鍵といい箸置きといい耳栓・・・
私はそれを、目に見えない存在からの
招待状であり呼びかけだと受け止めました。
目に見えない世界の存在は何でもできるんだな
と心底痛感しました。
フレッシュなうちに皆様と共有したいと思ったので
今日これを書けたことに感謝
全てに感謝
皆様の何かしらお役に立てたら感謝
読みに来てくださる方に感謝
みんなで取り戻そう
本当の自分を
世界を