臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
レイキヒーリングも行っています。
教室もヒーリングサロンも首都圏各地の中から選んでいただけます。
本当に私達はただ分離している
夢を見ているだけなのかもしれない。
心は、どんな媒体も飛び越えて伝わってくる。
時間も距離も関係なく。
情熱をありがとう!!
感謝します!
道に迷った時
何かの決断を迫られている時
祈り求めた答えは与えられている。
その答えは直接、気付きとしてくることもあれば
「誰か」から間接的に受け取るときもある。
「誰か」の場合、その媒体は本やテレビ、SNSかもしれない。
人だった場合は知っている人親しい人とは限らない。
また、穏やかに伝えられるとも限らない。
モーレツに頭と心が濁って、答えを受信できない
受け取れない時、モーレツなシチュエーションで伝えれれる
こともある。
だだ、モーレツなシチュエーションの時は、感情が先立って
その答えをスルーしてしまい気付くのに時間がかかってしまう
こともある。
私達は、一人を好んでも、一人で生きていけるようにはできていない。
私達一人ひとりに必ず聖なる存在がついている。
それを信じられなくても、感じられなくても必ず。
私達が決断を迫られた時、私達が一人で決断をするということは
ありえない。
必ず、聖霊か自我か、愛か恐れかのどちらかの導き手を選んでいる。
モーレツなシチュエーションから答えを受け取ったとしても
聖なる存在の答えであれば、状況にかかわらず、どうしょうもない
安心感、現実とは裏腹の大丈夫感、結果として感謝が湧き上がる。
そしてその存在が恐れを使うことは一切ない。
もし今、道に迷ったり、何かの決断を迫られている方は
ぜひ、自身の聖なる導き手を信じて下され。
聖なる霊は、この現実の世界でたじろぐ私達のためにいる。
「悪知恵は働くけど
良い知恵は働かない」
BY ハハ
現実に見える現象は、宇宙の法則の手が届かないくらい
甘くないんだから、と思いたくなるときもある。
でも、果たして、宇宙はそんなに頼りない
ただの空間なのだろうか。
今、不足を見ている時に、ないものを持っていると思うことも
成ったときの自分になれというのもなかなか難しい。
でも、神ありきの宇宙にはもっと優しい法則がある。
自分がほしいと思うものを、まず自分が先に与えること。
それは、時に自分自身にかもしれない、そばにいる誰かかも知れない。
これまで見てきて思うのは、やはり、自分にも人にあげることが出来る人は
色んな面で運みたいなのが強いなってことです。
一昨日だったか、明石家さんまさんがテレビで言っていました。
「マイナスの時の使い方やな」(※お金の)
この表現、少し違っているかもですが、これを聞いた時
ピーンときました。
そして、無いからといって、節約だなんだで絞ると
不思議なことにますます経済が回らなくなる!
富めるものはますます富、貧しいものはますます・・・現象ですね。
でも結局は、あげることが出来るということは
自分は持っているということやそれに付随した諸々が
その心の中に在るということなんですよね。
お金を含めた諸々の、誰かの幸せを祝福するとか
応援するとか、自分の心、力、持っているなにか。
情は人のためならずともいいますものね。
では、今日はこのへんで 🌈
歳を重ねるほど
自分はこういう人だという自覚や
良くも悪くも諦めが早かったり
見ただけでわかるという判断してしまう力(?)
これらは本当に正しいのだろうか?
本当に本当にそうなのでしょうか?
歳を重ねたその分だけ、私達は息を吸うくらい自然に
多くの判断を下してきた。
物事や状況に対して、統計学を習わなくても私達は
統計的に判断をしてしまう。そしてそれは、無意識に
全てに対してそうしてしまう。
判断は心の決定であるのと同時に、決断を生んでいる。
私達が、何かを判断するとき、それを
判断出来るほどわかっていて
理解しているから、判断をしている。
これは、時に役にたっている時もある。
ただ、判断には落とし穴がある。
誰かにしてきた判断は、善くも悪くも
必ず自分がそれを体験する。
それに気が付かないままでいると
どんどん本来の自分と離れていってしまう。
判断により、その判断事項を追体験してしまったり、
罪悪感に付きまとわれたり
防衛したり、攻撃を繰り返してしまう。
判断をされた相手も自分も決してそれではない
見たことは決して正しい見方とは限らない。
心の中が、攻撃か、停戦のどちらかでは
本当の平和ではない。
つかの間の平和は本当の平和ではない。
判断という決めつけは、奇跡が入るスペースも
占領してしまう。
奇跡に頼れないと、疲れてしまう。
明日も明後日もずーっと全部自分でやらなきゃは
気力やバイタリティが枯渇する。
私達は、信じられなくてもその自覚が持てなくても
高次元の方にもう一人の自分がいる。
もう一人というのは適切な表現ではないかも
しれないけれど。
でも、そっちが全部知っている。
そっちの理解は、いつも安全で愛に満ち溢れている。
そっちから来た判断は、必ず愛や希望に繋がる。
決めつける前に、そっちの自分に預けよう。
信じられなくても。
きっと受け取ってくれる。
貴方が愛に戻るためのものならば