臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
レイキヒーリングも行っています。
教室もヒーリングサロンも首都圏各地の中から選んでいただけます。
まだ私がレイキを始める前
有名な気功師の先生がすべてのものは振動している。
その振動を気功は正しい状態に整える。
というような事を話していて気功で周波数を調律
できるなんてすごいなーと思ったことがある。
自分でレイキをするようになってからは
ますます周波数というものを省いて考えることが
出来難くなった。
そして思いと周波数がこれほどまでイコールで結ばれている
のかと思わざるを得ない日々。
それが、体や現実に表現される。
タイトルは波長としましたが
とにかくルンルンしよう!
という呼びかけです!
安心でも休息でもカラオケでも散歩でも
なんでもいい、文句いっぱい書いてビリビリ破くのだって
自分が本当に欲することなら
小さいか大きいかも関係ない
でもそうしているうちに
周波数が整い、波長が良くなり
ぶっとい安心感を体でも感じられるようになる。
気持ちが明るくなって気分も良くなる。
そうなると物事の見え方も人に対する思いも
どんどん変わる。
現実が始める力を持っているのではない
現実が固定する力を持っているのではない
外側からは何も始まらない
内側からすべてが始まる。
今、現状の現実がどうであっても関係がない。
すべては内側から始まる。
そして、一日5分でも10分でも
心を静けさに集中させよう
自然は真空を嫌うというけれど
自我は心の静寂を真空を本当に嫌いらしい。
ということは。。。。。
その静けさの中に自我が見つけてほしくないものが
あるってことですよね!
ぜひ、見つけてみてくださいね!
小さなことだけど、得るものはでかい!
備えは、これから起こるであろうことに
もしかするとこれから起こるかもしれないことに
もしそんな事が起きたら大変なことになるだろうから
ということに
防衛の思考からの行いだ。
ただ、これが安心材料になるのであればそれはそれで
この行いにはなんの問題もない。
ただ、考え方の中には問題がある。
防衛は身を守る概念だ。
守るということは争いや危険があるという事になる。
その心には既に争いと危険が「在る」「存在している」
状態にあり、平和とは停戦であり、穏やかな光景は
地球がすやすや眠っているから。でも目を覚まし
大あくびでもしたらまたこの光景は壊されてしまう。
自然本来の力は脅威でその力は破壊的だ。
この心は、本当に平和だろうか
この心は、本当に穏やかだろうか
この心は、自分の心にどれだけの破壊力や
どれだけの奇跡が自分の中に眠っているかを知っているだろうか
自分が本当はどういう存在なのか
知っているだろうか。
供えは、神に供える
心の中の神に供える
自分の神に供える。
時に懺悔とともにこう在りたいという思いかもしれない
時にすごい嬉しいありがとう!という感謝かもしれない
時に返事の来ない交換日記のようかもしれない
時に与えられていることへの感動かもしれない
私達は目に見えない方から始まっている
肉体の視力には映らない方から始まっている
私達の人間として生きている時もこの法則は
変わらない。
自分のこれからの未知なる恐れを
自然のせいにするのはおかしい。
それは、集団投影のほかならない。
神は子のどの部分にも期待している
どの子ども部分にも信頼している
特別なこの子という概念は存在しない
神はあなたにしてほしいことが沢山ある
神はあなたと完成したいことが沢山ある
神はあなたに期待と信頼しか持っていない。
ユングの「雨乞い師」の話をご存知でない方は
是非読んでみて下さい。
今はネットでも検索すればすぐにでてきますね。
私達一人ひとりが時に村人ですが
本来は「雨乞い師」の方なのですよね。
ではまた👋
私達は何も信じないで
この世を体験することは不可能だ
必ず何かを知っている、わかりきっている
これを信仰に置き換えてみると
私達は必ず何かを信じている状態で生きている
それは、愛の源か
自我神か
自我は信頼がなければ存在できない
信じてもらうために何でもする
自分で考えて!
そうなる前に早く早く!
そんなこと言ってる場合じゃないよ!
自分でどうにかするしかないよ!
自我のスペースを保つためには
心と頭を自我論で一杯にしておかないと
信者さんが消えてしまうから!!!!
自我は手段方法を持っていない
自我は信頼を獲得するために絶えず努力をしている。
そうはいっても、うっかり信じているときがある。
でもそれはなんの問題にもならない。
それに気づいたらそれは間違いだと認めることができる。
私達はいつでも選び直すことができるから。
今年もめっぽう花粉が飛んでいるようですね
私は今年はじめて花粉アレルギーのような
症状を体験しました。
ただ、私はレイキが使えるので短い期間で
それは良くなっていったのですが
なんで、それを体験することになったのかな
と考えてみてもピンとくるものは何もなく
アレルギータンクもピンとこず次第に
自分が花粉症のようになったことも忘れて
過ごしていたところ妹がとんでもないことに
なってやってきました。
彼女は結構な花粉症で花粉症の症状が出る前から
市販薬で毎年対策をとっていました。
それが、まぶたを腫らし、目は充血して真っ赤に!
鼻もグズグズでなんと痛ましいことに!
そして、しばらくレイキを流したのですが
その最中にふと思い出したことがありました。
「そういえば、今年レンコン食べたっけ?」私
「いや今年っていうか最近レンコン全然食べてないね」妹
妹は私がレンコンが花粉症によく、花粉症状が出て
しまってからでもそれが良くなった人たちの話しを
聞いてから、レンコンを粉末にした物をお茶などに
混ぜて飲んだりレンコンも食べていて、私は
妹が結構な花粉症ということ
すっかり忘れていました。
妹も、レンコンのお茶も最近は
全く忘れ果て飲んでいないとのこと。
いざ八百屋さんへレッツゴー!
レンコンを買い、その日はレンコンコロッケに
初トライ!うまい!うますぎる!
そして翌日は母の要望で外へあっちこっち花を求め
探検をするというミッション
結局、4,5時間ほどほぼ外で過ごし、直接花とも
触れ合い家に戻りました。
衝撃でした。
妹をみてみると目はいつものように白目も黒目も綺麗なまま
鼻もグズグズしていない声も鼻声が治ってる!
「今日花粉どう?目痒くない?」私
「あれ?大丈夫だね、少し痒いかな
でも大丈夫」妹
「レンコンすごくね!!」二人
私がこれまで花粉症になっていなかったのは
ひょっとするとレンコンの助けもあってのことかも
しれないと本当に思いました。
ぜひ、試してみてくださいね!
レンコンの調理法は何でもいいと思います。
今回はすりおろしたコロッケでしたが
普段はもっぱらきんぴらでたまにサラダにしたり
煮物にしたりなのでね。
本日はレンコンの威力についてでした!
当時私は何もかもが嫌になっていて
あまりに色んなことが次から次へとやってきて
ああ、またか
どうしてこの家には平和がこない?
どうしていつも私はこんなんなんだ?
どうしていつも誰かが壊れる?
呪われてんのか?
本気でそう思うときがありました。
もうこれ以上どうすりゃいいの、神様
私は助けてあげられない
でも自分のことも助けることができない
私も、家族も絶望するためにここへ来たのでしょうか
私は自分が発狂してしまいそうで怖いです。
神様助けてください。
発狂寸前の私を未然に繋ぎ止めていたのは
「愛する人達、決して自分で復讐をしてはいけません
復讐は神のよしとすることだからです。」
毎日毎日この言葉を頼りに我慢の日々でした。
いつか救いがあるだろう
いつか助けがあるはずだ
でもとうとう私は発狂してしまいました。
そこで怒りが放出された私は
むき出しになった悲しみの海とでもいうのでしょうか
その海の中で溺れるように悲しみに沈んでいきました。
笑っていても、心は無感情状態のようになっていました。
そんなある日
雨上がりの朝出勤のため家を出ると濃霧で幻想的な
世界になっていました。少し霧がはれてミストのような
霧雨になりました。
ぼんやりと自転車をこいでいたら、ひらひらとなにかが
纏わりつくようにとんできました。
ハンドルを握った手元やペダルを漕ぐ足元に
白いモンシロ蝶が2匹フワフワヒラヒラと
楽しそうに、纏わりついて遊んでいるように。
蝶々がすごく可愛いいと思いました。
「でもどうして私のところへ来てくれたんだろう」とも思いました。
その蝶々が私から離れ眼の前の小さな茂みに
なっている方へ舞っていきました。
中央は背の高い草がシュッと生えていて
周りを白い花が囲んでいて更にその周りや地面を
霧雨なのか霧なのか白く曇っていて
蝶々はその草花の周りを楽しそうにヒラヒラと
舞っていたんです。そばに来たのは白いモンシロ蝶でしたが
草花の周りを舞っていていたのは白と黄色のモンシロ蝶
なんてかわいいんだろう、なんて綺麗なんだろうと
心の底から感じたその時、嬉しいと思いました。
美しいものをみて素直に綺麗だなと思え
可愛いものに純粋に可愛いと思うことができたこと
そう感じることができたそのすべてに感動して
本当に嬉しく、心が喜びを感じていました。
心の底から湧き上がってくる嬉しいという思いに
「神様、ありがとう」
「私に心をありがとう、嬉しいです」
その瞬間です、この嬉しい気持ち、この喜び、
ありがとうしかでてこない。
「これが感謝だ」と悟った瞬間でした。
私に感謝を教えてくれたのは
物でもでもなく、人でもなく、運の良さでもなく
ただ美しいものを見た時にそれをそのままに感じる
心や、そこに在ったすべての生命
そうして私の心は復活し
感謝の法則を体験することとなりました。
それから、神の復讐に関して誤解を招かないために
その後私が感じたことを少し書いてみます。
神の復讐は本当にすごいと思いました。
この世界の復讐と違って
明るくて優しくて誰も傷つかない傷つけない
でもみんなが困っていたことを
まるっと消し去ったとでもいうのか
考えもつかないほど平和的解決でした。
というか、当時私を含めた問題のほぼ全てです。
一時的な対処とかひとまず的なものではなくて
私達はこの時をきっかけにというか
なんというか、明らかに今も良い方に進化していて
それは今もずっと続いています。
ただ、感謝の法則もあります。
一概にこれとはいいきれませんが。
困ったときはやっぱり神様が一番頼りになります。
感謝は愛の属性なので、神の心の中に入るには
一番良いのかもしれませんね。
今日もお付き合いくださりありがとうございます。
感謝!!