臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
レイキヒーリングも行っています。
教室もヒーリングサロンも首都圏各地の中から選んでいただけます。
備えは、これから起こるであろうことに
もしかするとこれから起こるかもしれないことに
もしそんな事が起きたら大変なことになるだろうから
ということに
防衛の思考からの行いだ。
ただ、これが安心材料になるのであればそれはそれで
この行いにはなんの問題もない。
ただ、考え方の中には問題がある。
防衛は身を守る概念だ。
守るということは争いや危険があるという事になる。
その心には既に争いと危険が「在る」「存在している」
状態にあり、平和とは停戦であり、穏やかな光景は
地球がすやすや眠っているから。でも目を覚まし
大あくびでもしたらまたこの光景は壊されてしまう。
自然本来の力は脅威でその力は破壊的だ。
この心は、本当に平和だろうか
この心は、本当に穏やかだろうか
この心は、自分の心にどれだけの破壊力や
どれだけの奇跡が自分の中に眠っているかを知っているだろうか
自分が本当はどういう存在なのか
知っているだろうか。
供えは、神に供える
心の中の神に供える
自分の神に供える。
時に懺悔とともにこう在りたいという思いかもしれない
時にすごい嬉しいありがとう!という感謝かもしれない
時に返事の来ない交換日記のようかもしれない
時に与えられていることへの感動かもしれない
私達は目に見えない方から始まっている
肉体の視力には映らない方から始まっている
私達の人間として生きている時もこの法則は
変わらない。
自分のこれからの未知なる恐れを
自然のせいにするのはおかしい。
それは、集団投影のほかならない。
神は子のどの部分にも期待している
どの子ども部分にも信頼している
特別なこの子という概念は存在しない
神はあなたにしてほしいことが沢山ある
神はあなたと完成したいことが沢山ある
神はあなたに期待と信頼しか持っていない。
ユングの「雨乞い師」の話をご存知でない方は
是非読んでみて下さい。
今はネットでも検索すればすぐにでてきますね。
私達一人ひとりが時に村人ですが
本来は「雨乞い師」の方なのですよね。
ではまた👋