臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
レイキヒーリングも行っています。
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私たちに罪悪感なるものがなければ
痛みを感じることはないという。
そして、罪悪感は、敵か味方か攻撃か停戦か
をベースに危険か安全かを瞬で判断している。
罪悪感とは一体なんなのだろう
罪悪感はどうして私たちを自由にさせないのだろう
罪悪感の基盤は分離にある。
分離とは私たちが自分の源から離れているという
見放された、見離されていると感じる時に
神にも誰からも見離されたという感覚
繋がりを感じられない感覚
遮断されているという感覚
罪悪感はこの分離感を守るためにこれらの感覚を
あの手この手で感じさせる。
肉体的な痛みも精神的な痛みも時間がかかればかかるほど
理性から離れていく。
理性は痛みの原因を別の原因へとすり替えたりはしない
理性はその痛みが癒やされ消えていくことをわかっている。
理性から離れると、痛みは分離感を加速させる。
自分の平和が奪われていると感じたり
どうしてこんな痛みを感じなくてはいけないのかといらだったり
周りと比べて自分自身に対して低い価値判断を下してしまったり
これまでの自分がしてきたことに対する報いだと考えてしまったり
罪悪感の中に入り込んでしまう。
痛みは平安への攻撃で平安とは本来の私たちのことだ。
人である私たちが、攻撃的になってしまうとき責めている相手は
常に自分自身だ。
そして、攻撃的になっているときは、本当は何かを守ろうとしている
本当は、救われたいと思っている、でも誰も助けてくれなかったと思っている
本当は誰かにわかってほしいと思っている。
守ることが攻撃であることは完全に間違っている
でも攻撃は掘り下げてみてみると攻防だ
攻防は助けを求める呼び声以外のなんでもないという。