まず初めに、自分で自分を癒せるようになること。そして、その癒しを自分以外にも行えるようになること。
reikiで心を癒せば体が癒され、体を癒せば心も癒される。癒された先にあるのは、本来の自己で自由に自然体で過ごせる自分。全ディグリーを2日間で「伝授」するワークショップを首都圏各地の会場で開催します。 1名様からお受け付けしています。会場となるサロンは、ご希望があれば、希望地にそってご用意いたします。
西洋式臼井レイキの出張式教室です。お気軽にお問合せ下さい。
奇跡の第一人者によると、
必要なモノを、それを必要を感じる前に
与えられるという。
ここで言う奇跡の第一人者とは紛れもなく
ACIMのコースの声そのもの
キリスト・イエスのことだ。
コースの実践者(学習者)はこの本に出会うと
皆、同じような思いや感覚を抱く。
私もこの本を手にしたときのっけから、この本には
霊がついている(入っている)と思った。
救いがやってきたと感じるのと同じく、尋常ではない
自我の抵抗が同時に或いは交互に繰り返され、
本を開けば強烈な眠気に襲われた。
それでも、始めの通読は、眠る私の頭を誰かが起こし
読んでいる章を読み終えるまで、支えられ続けたり、
本から離れて、一旦やめようと思えば(そう思わなくても)
誰かが、私の体を支えコースを読むよう本を手に取り、また続きを
開、読む、眠る、起こされる。
そして、いい加減嫌になり、うるさい!!本のくせに!!!
お前に何がわかるんだ!!と叫び、本を床に投げつけ、もう二度と読まない!
開かない!!と叫び決めたにも関わらず、自らまた本を開き読んだり
急にあれ?と思い出したい言葉が出てきてそれをひたすら探したり
コースの言葉が頭にこだましてコースを読む。
コースを受け入れるまでは、ずーっとこんな感じだった気がする。
コースを手にした頃、私は、アセンションの症状と生霊に取り憑かれてしまったりで
これまでとは違う変なことがたくさんあって、いつも頭と意識が朦朧としていた。
意識だけではなく、体がこれまでのように思い道理使えなくなりその腹立たしさも
心の中にはいつもあった。
なので、この世界のやり方で何度も何度もそれを取り払おうとしたけれど
一切効果も効力もなく、怒りにも似たような、情熱のような、欲求のような、
これまで、自分を奮い立たたせるときや、救いを得ていた時(?)
に使っていた思いに一切意味も効果もないと完全に理解するまでこの練習は繰り返された。
コースを受け入れ、これが私の生涯の学びであり、生涯のおともだと思うように
なると、今度は理解できないことへの苛立ちや、進歩の無さにしょげたりした。
それでも、コースは受けいれば受け入れるほど、優しさを、その実在性を
具体的に表してくれる。
まずはじめて、コースに行き詰まったときだろうか?
最初に私に現れたのは瞳だった。
コースに、何かが上手く影を作ったからだと思うけれど
コースに瞳の影が浮き上がった。
私はこれを励ましに感じて、大丈夫と後押しされたように感じ感動した。
これ以来、コースはいつも私のテーブルの定位置においてある。
コースは今では何人かの方が翻訳し何種類か出版されいる。
私が買った時は奇跡講座と奇跡のコースという2種類があり
始めに手にしたのは、奇跡のコースの方だった。
今でも思うけど、誰が翻訳したかより、大事なことは
本当にその内容を自分が理解したいかどうかだと思っている。
どちらの本でも、聖霊の「よし!」があったから、この世界に
出てきたんだと私は思うのです。
そして理解の導きが聖霊である限り、どちらでも大丈夫だと思うのです。
話をもとに戻します。
私の勧めで妹もコースを読み始めるようになりました。
妹は、評判を調べ上げ、奇跡講座の方を選びました。
そして、うちにあるコースと読み比べ、うーんやっぱりうちにあるコースの方が
わかりやすい。
お姉ちゃんもこっちを読んだら?と度々言われ、こんなやり取りが何年か
続きましたが、必要となれば必ず買うだろうから、
急いで買う必要はないと思い、私は自分のコースを読んでいました。
時は経ち、私は反抗しながらもコースと共に、歩み、学び、
私の中にはコースを省くなんて考えは一切なくなっている頃
引っ越しをしました。
コースを学んでいても、疲れることなんて大いにあって
あれこれ色んな本を読むことや、本が出しっぱなしになっているテーブル
の一角がチョット嫌だなと、引っ越ししたのに、ここだけ散らかっているな
少し片付けようかなと、本棚買ったなと思い
チョット、この際全部、本読むの小休止してみよう。
全部本棚にしまってしまおう。
そう思いたち、出ていた本とコースをしまい、本棚の扉を閉じました。
今でも忘れません。
きれいに片付いたテーブルを見てきれいな部屋を見てご満悦でした。
家のチャイムがなりました。
連絡もなく妹がやってきました。こんなことはよくあることです。
妹を部屋にあげ、今日はどうしたの?と聞くやいなや、
これ、おねーちゃんに絶対読んでほしくて、必要だと思ったの
私のはもう注文してあるから安心してね。新しいほうが
良ければ交換するよ
といって、自分の軌跡講座上下巻をを私にといってくれたのです!
帰ってきたコース!!!
I”ll be back
の文字が電光掲示板のように頭の中に浮かびましたよ
本当に驚愕しました。
それ以来、コースは、私がいつでも読めるテーブルの一角が
所定位置となりましたとさ。 チャンチャン🎹
これが、最初に現れたコースからの励まし(?)
この本は、奇跡のコースの方。
受け止め方も、見方も見る人の心次第
信じるか信じないかはとは、本当によくいったものですね。
私もこれが現れて喜びでいっぱいになった直後
まさか生霊が写し出されたのではと疑いが始まったり
この時テーブルに何がおいてあったんだ?とそんなことを
必死に思い出そうとしたり、目に見えない世界をなんとか
やっつけようとなんかそんなのがあったようにも思います。
真理や、スピリチュアルを真剣に学び始めると内容を
問わず、自分の進歩を感じられず、行き詰まることがあるかと思う。
でも、目に見えないからといって、それは進歩がないということは
一切なく、感じられないからと行って、諦める理由にはならないと
思うのです。
私達の肉の目には見えない世界や存在が、私達を本当に支え、応援してくれていると
思います。以前この写真を載せようとした時は、縮小できずここに載せることが
できませんでした。
でも今日はできました。
目に見えない世界が、ここに来てくれる誰をも応援したいのかもしれない。
それを伝えたいのかもしれない。
そんなことを思いつつ。
今日はこのへんで👋