臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
レイキヒーリングも行っています。
教室もヒーリングサロンも首都圏各地の中から選んでいただけます。
歳を重ねるほど
自分はこういう人だという自覚や
良くも悪くも諦めが早かったり
見ただけでわかるという判断してしまう力(?)
これらは本当に正しいのだろうか?
本当に本当にそうなのでしょうか?
歳を重ねたその分だけ、私達は息を吸うくらい自然に
多くの判断を下してきた。
物事や状況に対して、統計学を習わなくても私達は
統計的に判断をしてしまう。そしてそれは、無意識に
全てに対してそうしてしまう。
判断は心の決定であるのと同時に、決断を生んでいる。
私達が、何かを判断するとき、それを
判断出来るほどわかっていて
理解しているから、判断をしている。
これは、時に役にたっている時もある。
ただ、判断には落とし穴がある。
誰かにしてきた判断は、善くも悪くも
必ず自分がそれを体験する。
それに気が付かないままでいると
どんどん本来の自分と離れていってしまう。
判断により、その判断事項を追体験してしまったり、
罪悪感に付きまとわれたり
防衛したり、攻撃を繰り返してしまう。
判断をされた相手も自分も決してそれではない
見たことは決して正しい見方とは限らない。
心の中が、攻撃か、停戦のどちらかでは
本当の平和ではない。
つかの間の平和は本当の平和ではない。
判断という決めつけは、奇跡が入るスペースも
占領してしまう。
奇跡に頼れないと、疲れてしまう。
明日も明後日もずーっと全部自分でやらなきゃは
気力やバイタリティが枯渇する。
私達は、信じられなくてもその自覚が持てなくても
高次元の方にもう一人の自分がいる。
もう一人というのは適切な表現ではないかも
しれないけれど。
でも、そっちが全部知っている。
そっちの理解は、いつも安全で愛に満ち溢れている。
そっちから来た判断は、必ず愛や希望に繋がる。
決めつける前に、そっちの自分に預けよう。
信じられなくても。
きっと受け取ってくれる。
貴方が愛に戻るためのものならば