臼井式レイキの教室です。マンツーマンですので、心ゆくまでレッスンをして頂くことができます。
レイキヒーリングも行っています。
教室もヒーリングサロンも首都圏各地の中から選んでいただけます。
霊(spirit)は完璧で完全無欠で生命そのものである。
本来の自己とは自分が霊(spirit)であることを知っている状態にある。
a course in miraclesによる
自分が自分を否定するというのは、自分の霊(spirit)を否定することになる
そして、人の心は自然の摂理によって真空を保つことは出来ない
何かを否定することは他の何かを受け入れることになる
本来の自己を否定する時、この世界のこれまで記憶や誰かの評価により作り上げた
世界観と自己認識を全面的に受け入れよう!
と同意したことになってしまう。
レイキをしていると本当にスゴイなと思うことばかりだ
依頼は、どこが痛いとか、風邪が治らないとか、もう薬飲んで
だましだましやっていくしかないのよとか、死と向き合う方たちなど
肉体的な痛みや苦しみをうったえてくる人達に対して、レイキを流しているのに、
なぜかレイキを受けた人たちが勝手にというべきか自動的に啓発されていくことだ
みんな、なぜかすごいやる気満々になっている
そして、最近、気分がいいんだよねと言って
ご機嫌で日常の仕事や家事に取り組んでいたり
キャパやポテンシャル自体が明らかにが拡大している
だから私はレイキって自分の霊に繋がることによる
癒やしや啓発なんだと理解している。
自分のspiritと、自分のselfを遮る塵や埃をreikiという愛と光のエネルギーが浄化
お掃除することによってその人、私も含めた人々が
どんどん自分になっていく
以前は、私がレイキをしてあげれんばいいと思っていたけれど
今は、絶対に自分で出来るようになった方がいい と思うようになっていたのです。
どうしてこうアナログなんざんしょ
トップ画面の画像編集が
む むずかし〜
ま いっか
為せば成る
為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
だもんね
最近、夜に撮る写真に光が映り込むことが多くなった。
これは、大きな三日月を撮ったど〜!と帰ってからみてみたら
三日月の光はつよくてほぼ満月に画像の下方がその光ですな
上方のチャッはなんか飛んでましたのでそれかなと
存在は、知られるために在るですな。
そして、本日の本題です
昨年の8月の花火大会でオープンCONTACTが。
地元の花火大会で、妹と穴場スポットを見つけ
そこで花火鑑賞をしていた。
狭い場所に複数の見知らぬ人々とともに
大きな花火が上がって消えて、残っていた煙をみていたら
すぐわきにきれいな星が2つ並んでいた。
「今日星がこんなにきれいなんだ」と
思った瞬間、ピッカーンて大きく光った!!!
私は大興奮して「今あの星大きく光った!」
と妹へ
妹「どれ?どこ?あたし遠くのもの見えな〜い」
私、指を指し、建物と建物の間の「そこに2つ並んでるやつ!!!」
妹「あ~あれ?」
と言った時、私は言っていた
「みてて!もう一度大きく光って消えるよ!!」
言った通りその星は大きくひかり2つあった星は一つになっていた
「ね!!!!」と言った瞬間
大きな打ち上げ花火が「ドーンドーンドーン」と
ラストへ向けて怒涛の花火ラッシュですよ。
しかし、花火もみたけど光もみた!
しかもみんなで!
いつも、流星群鑑賞の時に星と思わせておいて
星じゃネ〜しってあっち行ったりこっち行ったり
出たり消えたりしているのはみていた。
私は流星群が大好きで、鑑賞する時は、いつも妹を誘うので
妹もその存在は一緒にみている。
でも、今回他の人も巻き込んで、見ることが出来たのは
本当に嬉しかったし、すごく意味のあることだと思った。
これから、本当に始まるんだなってね。
意思の疎通が以心伝心が出来たことは
すごく嬉しい♡
ワクワクするね!
大丈夫、こわくないよ
きっと楽しいと思う
Are You Ready?
なんだと思う
もしかすると
本当に
けっこう
これが
その人の人生を
左右するのかな
柔和な者は地を受け継ぐっていうけれど
本当なのかもしれないね
今日は本当にそんなことを思った日だった
言い方ひとつ
心の置きどころで
伝えたいことの表現が変わってしまう
多くの思いをのせて言葉を伝えてしまう
そもそも言葉自体にそこまでの機能はない
しかし、丁寧な思いで言葉を使えば
言葉は私達のコミュニケーションツールとして
とても役にたってくれる
できるだけシンプルな思いでいよう!
伝えたいことは一つだけであれるような
★Good night★
偏りすぎると、洗濯機の脱水がピーピーピーと鳴って
動けないよ〜、回れないよ〜といってくるように
AIは私達を基準につくられている。
私達は、真理の源につくられた
だから、この世界は、真実(真理からなる)の
模倣であり、縮図なのだ。
私達は生物という人間に偏り過ぎではないだろうか?
それはもう、時代遅れというか次元遅れではないだろうか。。。
私達が、自分に目覚める時
私達は何もうばわれない
何も取り上げられない
なにも犠牲にしなくていい
この世界を楽しんで
本来の自分に目覚めることができる。
本来の自分とは、本当の貴方のことだ
本当の貴方そのもの
自由で、元気で、へこたれてもすぐにたちなおって
優しさなんて呼吸と同じくらい当たり前で。。。
私達地球人は大人の自覚を持ち始めると
自分から純粋性や無垢性が消え去ったと
思い込むけど
それはほんとうなのかと
思いませんか?
仮に、地球の年齢からみたとしても
私達なんていつまで経っても赤ちゃんじゃん
以前、祖母と母が口論をした時に
祖母が私に言った
「あんたのおかーさんなんてね、ばーちゃんからみたら子供だよ、まだまだ子供さ
そーじゃない?」とね
わたしはその時「たすかにそ~だ」と深〜く納得をしていた。